この実(向かって左が殻を剥がしたものです)を圧搾製法で絞り作ったものです。
ほとんどの場合殻をはずしてから圧搾し取り出します。
きれいな消化管がきれいな皮膚につながるように、皮膚病にはヒマシ油は重要であるということを知った。
「薬〔ヒマシ油〕は特に上行結腸に作用するようだ。多くの進行中の皮膚病は、上行結腸が横行結腸に変わる右結腸曲で発生した毒が原因であることは疑いもない事実であり、そこは嫌気性蛋白質分解バクテリアが好んで住む場所なのだ」
V‐B‐キヤノンが論文で次のように報告したこと一指摘した。
それは、ヒマシ油を餌に混ぜて動物に与えたら、上行結腸で食物が連続して分割され、その後に、食物を逆に送り込むご、いわ少る逆ぜんどうがおこったのだ。これは結陽膨起を清掃するのは都合のよいことである。
「結陽の運動が弱いと、これらの結腸膨起(ふくらんだ部分)が特に汚れやすくなるのだ」一重要な発見は、非常に優秀な教科書にあっても見落とされることがよくある。
ここに、ヒマシ油を内服した際の直接の結果として、上行結陽の働きを証明するものがある。
グッドマンとギルマンは、いかにして、この油が、小陽内で脂防分解酵素により加水分解されてグリセリンとリシノール酸になるのかを解明している。
便通(浄化)を積極的に促すのはリシノール酸である。リシノール酸には強い刺激作用があるので、そのため腸の運動作用(副交感神経)が刺激され、その結果、小腸に溜まっていた内容物が急速に前進させられるのである。
それから、この教科書には「結腸はほとんど刺激されない。なぜなら、リシノール酸は、小腸を通過するときには他の脂肪酸と同様、吸収されてしまうからである」と述べられている。
キャノンが報告した活動は、放散(正常な伝導のしかたを超えた神経インパルスの分散)と呼ばれる反射現象と大変よく似ている。
もしこれが正しいとするなら、ヒマシ油が、その刺激作用から生ずる神経インパルスを拡大することによって、いかにして小腸全体および横行結腸の上行部(左半分)に対して刺激剤として作用するかが理解できよう。
放散は、中枢神経系の中よりも自律神経系の中にある方が強く現れる。
実際、交感神経系に関しては、その求心性神経インパルス(器官やその一部に向かって)の効果は、全交感神経系を活動させるのだ。
そしてその構造は、このような広範囲にわたる反応によく適合している。したがって、たとえば、もし内臓(腹部)神経の中心の先端を刺激すると、その効果は瞳孔にまでも到達し、瞳孔拡大が起こるのだ。副交感神経系においては、交感神経よりも放散は少ないとはいうものの、それでもよく目立つ特徴である。
このように、ヒマシ油の効果は、放散効果により、油が小腸の中をほんの少し進む前に、結腸で見られるのだ。
ヒマシ油は、創造の力と一体化されやすい波動を体内に創造し、これが治癒活動をもたらすのかもしれない。
私たちは薬以外に身体を癒す何かを見つける必要が大いにある。ここに自然治癒的な薬の真の意味があるのかもしれない。
つまり、人体の波動をより効果的に神の波動と一体化させ、まるで手品のごとく、治癒が現れるという方法で。私たちはこれを奇跡と呼ぶ。それは単に一体化のことなのかもしれない!エドガー・ケイシーは決してこれを奇跡とは見なさなかった。彼は先に引用した
ケイシーリーディングの中で、これは霊的な出来事だと述べている。
あらゆる力、あらゆる癒しは、内なる波動を変えることーすなわち身体の生ける組織に宿る神性を「創造の諸力」に同調させることにあることを知るべきです。これのみが癒しである。
これを薬で達成しようとも、あるいはメスやその他の方法で達成しようとも、癒しとは生ける細胞力の原子の構成をその魂の選民に同調させることに他ならない。(1967-1)
原因は何であれ、またどうしてその効果が実際に達成されたかをまだ十分に理解できなくても、ヒマシ油パックを適切に、真面目に、辛抱強く実行するという単純な行為によって、行動過多症や他の多くの病状が軽減され、そして往々にして除去されたことはわかっている。そして、このような結果を通して、ヒマの効能は中世に与えられた「パーマクリスティー、すなわちキリストの御手という呼び名の正当性を証明するものである。
エドガー・ケイシーがあるとき、小さじ一杯のヒマシ油には一回のお折りの中にあるのと同じくらいの深い神性があるのだと言った。