自然療法のクシロ薬局

ヒマシ油パックが良く効くのか、効かない人の差が出るのか?

ここで量子力学の観測効果を基に考えてみますと

  1. 世界は、さまざまな問題を内包。
  2. 物理的な異常さではなく、われわれの内心の歪みが生み出した思い込みである場合が非常に多い。(アメリカとイラク、回教とキリスト教)

心の中無数の決めつけが、ありもしない問題を作り出す。
世界に存在するあらゆる成功と失敗、貿易協定、国境問題が引き起こす侵略戦争・軍事予算と福祉との均衡などの問題、あるいは、自分と同じ言語を持たない人々を理解することや拒絶することなど、多くの問題は、われわれの思想あるいは主義信条に由来。
多くの人々と同様、人類が抱える苦悩の原因は、資源の不足、自然災害、富の不平等、病気などの客観的な事実にあると信じて疑わなかった。
われわれが見る世界とは、そこに参加する個々の人間の同意だけの問題であるということを。

量子力学ミクロの世界で観測効果という不思議な現象。

観測効果とは、観測者が特定の物理的な性質を測ろうと決めること自体が、現実にその性質を生じさせてしまうという効果(観測という動作によって、観測される特定の性質が現実のものになるという効果)。
われわれが暮らす日常の世界も、思念のみから成り立っているのではないだろうか?
その通りのことが、現実に起きているのではないだろうか?
われわれがみずからに課した以外の限定は、存在しないのだ。

バカラの師カルロ.シュアレスの教えの一つダレット・ヴァヴ・ダレットと綴られるカバラの言葉です。
『タレット』という文字は、抵抗の象徴であると同時に、応答するという意味があります。
『ヴァヴ』とは、肥やすという意味です。
タレット・ヴァヴ・タレットとは、肥やす抵抗に対する抵抗、あるいは肥やす応答に対する応答という意味になります。
『ドヴィド』と発音されるこの行為がなかったら、いかなる変容も起こり得ないでしょう。
われわれのデヴィッドという名前は、『ドヴィド』に由来する言葉です。
われわれは、互いに抵抗し合っています。
われわれは、その抵抗を壁のようにただ跳ね返すだけでなく、多様で豊かな応答へと変容させる必要があるのです。
ところで、この『ドヴィド』という言葉は、ヘブライ語では『愛する者』という意味があるのです。
『愛する者』なしには、いかなる変容も不可能なのです。

観測

自分、家(家族)、地域、国、地球
身体(body),心(mind),精神(spirit)、霊(soul)
過去、現在、未来
これを見ると病気意味が見えてくる。
自分を愛する愛を持たないとすべてが現在の自分と矛盾が有り罪が生じる。
ここを正しく認識し波動を起こさせるのがヒマシ油
特に腸と身体が一致すると精神(spirit)と霊(soul)が正しい見方をするとすべてが一致し罪がなくなりなおる。

癒し・・・真の治癒過程

真の治癒が生じる時はからだの組織内に意識の覚醒・・・サイキックな出来事・・・がある。
使用される治療法の中にその覚醒を起こす力つまり本質が潜む。
それはキリスト教や各種神道など信仰への道でしょう。
その起こす力は原子や細胞が新たな覚醒に目覚めるように刺激する創造的要素と考えると分かりやすい。
エドガー・ケイシー「すべての癒しの根源は一つの源から生じます。そして食事、運動、薬、あるいは手術の適応であろうがーそれ自身再生の助けとなる体内に有る諸力の意識をもたらすー創造あるいは神の諸力の覚醒をもたらす。」

諸力(forces)はすべての組織は原子からなり原子にはすべてに意識が有る。
意識は使うとすべてどのような場合でも諸力(forces)となる
エドガー・ケイシーは原子や細胞を一括して諸力(forces)となる。
原子や細胞は神に自分達の起源を喚起され正常な状態を達成するという反応を示す。
これを治癒あるいは回復という。

ヒマの効能は中世に与えられた「パーマクリスティー」、すなわちキリストの御手という呼び名の正当性を証明するものである。
深い意識のレベルで、創造の力、すなわち神と一つであるのと同じように私たちは真に−肉体、心、霊が−一つであるように。
人間は素晴らしい創造物である。
だから、私達はお互いを、また自分自身をそのように扱おうではないか。

三神の神が癒しの御業をなさるとき、どんななことでも起こり得ることを忘れずに。
ヒマシ油はコールドプレスでコールドプロセッシング(低温圧搾、低温工程)で、簡単ヒマシ油パックのヒマシ油使用料の少ないもので、1時間を3日し4日休む。3日め晩にオリーブ油を飲むそして細胞を生き返らすために水を飲み、浄化する(2L)。

神との契約を結ぶ際に、鍵は、どれほどあなたが自分自身の価値、愛を持ち、自分を愛することをし、自分を信じているかにあります。
すなわち、あなたが自分を愛する事ができ神をを信じ、神が自分の体に降り一つになることに値すると信じているかどうかです。